先日読んだ本「私の馬」のことをしばらく考えている、という話。
推し活にはお金がかかる
推し活をしていると、金銭感覚がバグってしまう時があります。ふと気付けば、数万円使ってた!なんてことも。私も推し活をしている身ですから、「私の馬」の主人公が推しに夢を見て、お金を注ぎ込んでしまう事自体には「分かる」という気持ちになりました。馬、良いよね。分かるよ。
でも彼女は自分の支払能力以上のモノに手を出してしまいました。彼女は馬に一目惚れして、その馬のためにじゃぶじゃぶとお金を使っていきます。金銭感覚がバカになってしまったのでしょう、支出に歯止めがかりませんでした。推しに貢ぐことに盲目的になってしまうのは「分かる」んですが、他人の金でそれをやろうとするのは「分からない」ことですし「やってはいけないこと」です。彼女の横領した金額は、積もり積もって億になっていました。(横領よくない)
しかし資金は有限である
推し活をしていると、推しに対してついつい財布の紐がゆるゆるになってしまうのですが、こちら側の財布の中身は有限です。だからある程度のところで「ここまで」という線引をしないと、どこまでもお金は減り続けます。そして限界が来て、そこで引けなくなって借金なんかを始めてしまって、身を滅ぼして行くのです。
適度な推し活による散在は正直必要経費だと思って使っています。私が楽しく生きるための必要経費です。生きがいのために使う自分のお金に対して他人に文句を言われる筋合いははありません。好きなことにお金を使って良いのです。ただし、生活を圧迫しない範囲で!
推し活はお小遣いの範囲で!
タカが外れてしまった支出は際限がなくなり、じわじわと身を滅ぼしていきます。その前に立ち止まれればよいのですが、そこまで来てしまったら止まれるものも止まれなさそうです。借金は何も生みません。借金返済のために推し活の時間が削られたら、それはそれで元も子もないというものです。
推しへ「貢ぐ」お金を作るために寿命を削って働いてたら、何やってるかわからなくなります。生きるために推し活てるのに、いつの間にか推し活のために生きてることになります。目的と手段を取り違えてはいけません。あくまで、生きる糧として推し活をしているのですから。(でも推し活するために生きてる気持ちも分かる!)
なので、推し活はお小遣いの範囲で、生活を圧迫させない範囲でやっていきたいなと改めて思いました。何にいくら使っているか制御できる範囲で、自分の手の及ぶ範囲で推し活をしていきたいと思います。
あとこれはこの話と全く関係ない話なのですが、「お金をお貸ししますよ」というCMや広告類が世の中にはたくさんあります。あたかもお金を借りることが悪いことではないよと言いたげな広告たちに「いや借金でしょ!良くないよ!」と常々ツッコんでおります。
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