『馬は人に夢を見させる』
(読んだ本)私の馬(著:川村元気/新潮社)
一頭の馬に恋い焦がれ、夢を見て、その夢が覚めるまでの話
内容
造船会社の事務員「瀬戸口優子」はある帰り道で馬運車から道路に出ていた一頭の馬と出会う。その馬に会うために乗馬クラブを訪れ、乗馬体験を通じて優子は牡馬の「グランデストラーダ」と心通わせたような心境になる。しかし優子は乗馬クラブで彼に乗ることが出来ない。クラブの別の利用者が乗ってしまうからである。それに不満を持った優子は、乗馬クラブの場長から「買われたらもう乗れない」という言葉と、優子の収入からしても決して安くはない馬の代金と月々の預託料の金額を提示されます。
優子は会社の労働組合組織でお金を管理する立場であった。その組合のお金を自由に出し入れし、記録を管理できる立場でもあった。大金が入っている金庫の暗証番号も知っていた。大金が今すぐにでも必要な優子は、その金庫のお金に手を伸ばすのであった。「これは罪だ」という意識を抱えながら。
感想
不正の言い訳は自己の正当化から始まるとか。自分は皆がやりたくもない仕事をやっているんだ、少しだけ・少しの間だけ借りるだけ、と次々口座から引き出された預金。馬代+預託金に始まり、馬具や服はブランド物、ストラーダに障害の才能があると分かると障害練習設備から厩舎と、どんどん支出は増えていくばかり。不正を指摘された時には億を越えていました。それでも彼女はそのお金は「私が金庫から一時的に借りている」と思っているに過ぎません。
彼女はストラーダに大きな夢を見ました。横領の一件がなければ、一頭の馬に夢を見た女性のサクセスストーリーにもなりえたかもしれません。しかし、かくも「馬」にはお金がかかる。夢を見るのは大いに結構ですが、やはり趣味は自分の支出の範囲内で収めなければ身を滅ぼして行くんだろうと思います。
さて、読んでいて思ったのが、この「横領事件」は不正を防ぐシステムがそもそもなかったように思います。1人で内々に大金を動かすことができ、それをチェックする体制もない。信頼していたといえば聞こえはいいですが、要は1人に全て任せっきりで誰もチェックもしていなかった、人任せというのがその実のように思いました。「今すぐにお金が必要な状況」と「大金が引き出せる状態」の2つのどちらかが欠けていたら、ここまでのことにはならなかったように思いました。
それから、ストラーダが彼女の光だったとしても、彼女に必要だったのはストラーダではなく人間の友達だったんじゃないかなと思いました。主人公優子視点だと中盤まで嫌な感じの子に書かれているお金持ちの「御子柴さん」ですが、物語の中で一緒に食事に出かけます。そこではそんなに嫌な子ではありませんでした。いい友達になれそうな雰囲気があっただけに、主人公に必要だったのは、直接・実際に言葉を交わすことが出来る、御子柴さんのような人だったように思いました。
読んだ後、果たしてこれは横領に手を染めた、他人の金に手を付けた金遣いの荒いだけの女の話であったのか?と思いました。主人公の見た馬との交流は、もしかしたら彼女の妄想だったのかもしれません。それでもストラーダと触れ合っている時間だけは、彼女にとって大切な時間だったのだと思います。
同情でも憐れみでもなく、状況さえ揃えば、一歩違えば誰でもそうなってしまうかもしれない、そういうちょっとした実在する恐怖を感じた1冊でした。
この本を読み始めて何ページ目かで、「そういえば横領金の使い道が馬だった女の人がいるって話聞いたことあるな、その事件についての本があるっていうのも聞いたことがあるな」と思い出しました。それがこの本だったんでしょうね。
私は猫も好きですが、馬も好きです。競走馬も好きです。なので、馬関係の本もこれから読んでいこうと思います。
今回はここまで。
では、また次の本で。
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